Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

子どもたちが育つとき。
先の日々を考えて選んだかわいいソファ

「...かわいい!」。初めて目にしたときにぽろりとでてきた言葉。
うちのソファは、かわいい。角のないまるさにどことなく焼き菓子のようで、圧迫感は皆無の姿形。30種類くらいはみただろうか。我が家にやってきたソファは、一際かわいいと思っている。

小学3年生の長女、小学1年生の次女、それから最近保育園に行きだした2歳の長男。3人ともが寄り合っているときには、遊び場みたいだ。壁から少しはなした配置にしたため、両サイドからも後ろからも座れるので、それぞれがあちこちからのぼり、不思議な向きで寝転がったりしていると、ときどき遊具のようにもみえてくる。

長男が電車にはまっているため、最近ではみんなで線路を繋いでみたりパズルをやったりと、ソファのまえのスペースにそれぞれおもちゃを広げていくとき、我が家のリビングにぽんと遊びの空間が生まれる。

自分の幼い頃にあったのは、四角いソファだった。一番古い記憶は祖父宅にあった応接間のソファ。革のもので、一人掛けが四つ。触れるとひんやりする椅子たちは「大人たちの場所」という気配があった。中央のテーブルにおかれた灰皿は、幼い自分の顔ほどあった。

それからもう一つ。小学生の頃に住んでいた香港の家にあったソファだ。籐を土台にしたクッションが硬いもので、ベランダの窓際においてあり、よくそこで新聞を広げて遠い日本のことを読んだっけ。

どことなく威厳があり、シックなソファにも憧れはした。でも、自分が欲しいと思ったのはころんとしたこんなにかわいいソファだったのは、なぜだろうか。

・・・

家族について考えた結果だった気がする。

長男が生まれる前、私の仕事の関係でパキスタン南部のカラチという都市に住んでいた。それもあってか、家族の結びつきは強いと思う。知らない言葉の飛び交う土地で4人似た顔をし、同じものを分け合って食べる者同士。

カラチでの2年半の暮らしは、治安が悪いために24時間交代で誰かが待機し、ガードマンがついて車で移動するという、日本では考えられないものだった。
行ける場所は決まった数ヶ所のみで、外に歩いて出歩いたことは数えるほどしかない。だが、その暮らしを、私たち一家はとても楽しんでいた。ガードマンに運転手、それからコックやベビーシッターに囲まれ、子どもたちは特にとてもかわいがってもらい、ほかの日本人在住者ともみんなで協力して仲良く生活をした。
小さく助けあって、喜びをわけあって生きていた実感のある日々。治安は悪いが、どこかいつでもあたたかい手触りがあった。

ともに生きるということが、あの日々からそっと肌のしたに流れているような気がする。Cortileスモール3人掛けの居やすさ、たやすさを思わせる、やさしい形に惹かれたのかもしれないと、ふと思う。

それから、この身軽なソファだったら家族だけでいずれ動かすこともたやすくできるだろうと思ったことも大きい。二人の娘と息子の成長やシーンに合わせて動かすことを、初めからなんとなく考えていた。いまは子どもたちがおもちゃを広げて遊べるような配置だが、成長するにつれてかさばるおもちゃも減るだろうし、数もぐっと減るだろう。

あっという間に、リビングに持ち込むおもちゃのなくなる日がくる。そうしたらどこか壁にぴたりとくっつけて、いまより少しだけスタイリッシュに置いてみるのもいい。

春には、窓際において陽気にうとうとし、昼寝するのもいいかもしれない。
夏にはもう少し太陽を避けた場所で、ひんやりできるところ。そんなふうに、いつまでも気軽にやっていけそうな気がしたのだ。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)