Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

25年ぶりの日本、小鳥と白い革のソファ

四半世紀ぶりだ、ということに気づいて自分でもはっとした。
アメリカで2年、それから中国で23年。
空気の色も土の匂いも違う土地に暮らして25年を経て、私は昨年から日本で暮らしている。

念願の新居に、研究とも呼べるほど調べ吟味して手にいれたのは白い革のソファだ。
「一人で暮らすようになったら」。とびきりの革のソファを買うのだと、貧乏学生の頃から決めていた。

・・・

アメリカで留学生として過ごす日々、そこで生まれ育った友人の家に招かれて目にする大きなソファたちはなんとなく眩しく、またなんとなく寂しい気持ちにもさせられた。それがソファに焦がれた最初だったと思う。10代の溌剌さで、乱暴に座ってもどっしり動かないファミリーサイズのソファは、その土地に根をおろしている象徴のように、私の目に映った。「あと○ヶ月」と数えるような暮らしではいい鍋ですら買うことを躊躇するものだ。

革のソファがいい、とは、中国で暮らしたあるマンションでの出会いから決めていた。大家さんが置いてくれたソファはアメリカで座った数々のソファとはまったく違う座り心地をしていて、聞けば飛行機のシートをつくるブランドのものだという。革のソファの心地よさと扱いやすさを、初めて教えてくれた。

とびきりの革のソファを生活に迎える。自然と「いまだ」という気持ちになったのは、日本に帰ることを決めてからだった。

アメリカでの留学生活では、すでに次の中国での生活を見据えて学費と生活費のためにアルバイトに明け暮れていた。それでも中国へ移ってから貯金の底がみえるまではあっという間で、ここでも学生時代はとにかくがむしゃらに勉強をし、そのあとは現地採用にかじりついてがむしゃらに働いた。
営業職についた当初は、まだメールも一般化していない時代。電話口で聞くお客様の中国語はまた別物でだいぶ苦労した(「電話にでないセールスがいるか!」と叱られた)。

中国では4度、移動した。日本家屋のある港町、新旧が無秩序に混じり合う混沌とした街…。ハワイのような気候で、いつでも咲き乱れた花でいっぱいの地もあった。地方出身者が多いところで、外国人にも優しく、同僚たちとは家族ぐるみで過ごした大好きな街だ。

学生時代も社会人になってからも、とにかくがむしゃらに前だけ見ながら進んでいく。なにもこわくなかったと言ってしまえそうな、まさに青春の時代だった。

港町の冬の寒さに凍る海ですら、あたたかな思い出が勝る。仲間と夏の海岸バーベキューならぬ、磯焼きをして楽しんだものだ。イカやウニはもちろん、厚切りベーコンも貧乏学生にはご馳走だった。時々、手をこすってぬくめながらご飯を頬張り、ふと顔をあげて仲間と眺めた海は、果てしなかった。冷たい海に一つの熱いかたまりをゆっくり溶かしていくように沈む夕日は、一生忘れないと思う。

異国での25年は、暮らす、ということに、飛び切りの成長と楽しさと、そしていつも少しの必死さを持ち続けていた気がする。手にそっと握りしめて忘れないように自分を正していく。限りがあるのだからしっかりやれよと、おまじないをかけるように。

日本の土地に家を構えて暮らしをはじめるというのは、その握っていた手をほどいていくようなもので、こんなにも離れていた故郷で、不便を感じいまだにどこか外国であるような気もするのに、一方で体に染み付いたような馴染みがでてくることに驚いた。

友人の助けと、そしてチビ太の存在が大きいと思う。セキセイインコの、黄色と緑と、いろんな色をしたチビ太。生まれて3週間の雛のときに、友人の近所を散歩している店で出会い、そのまま連れて帰った。

放鳥しても私から離れずにチマチマとそこにいる。ソファでくつろいでいれば、肘掛けにいたり、背にいたり。私の肩や足を行き来してずっと遊んでいる。私が食べるものはなんでも食べたがる。31グラムのチビ太は、私のことを大きな母鳥だと思っているのだろう。

粟穂が好物で、穂に詰まったものを上手に皮をむいて食べる。小まめな動きを繰り返すチビ太をみていると、生活を眺める目がうんと細やかになっていく気がする。皿の柄もテーブルの小さな傷も、よく気づくようになった。

ソファを選ぶとき、チビ太のことばかり考えた。うんちをしても拭き取れること、細かい餌がぱらぱら落ちても、水拭きができること。幅の広い肘掛けには鳥籠も置け、そこがとても気に入った。

もしかすると、自分だけじゃない誰かのためにも、とびきりのソファを選びたかったのかもしれない。

うんと前に、ソファがあった頃が実は一度だけある。貧乏学生だった私に、母が買ってくれたものだ。汚れてもへたっても、10年ほど大切に使った。決して私を押し返すことのないやわらかな布地のソファベッドは、母の愛そのものだったと振り返って思う。

握っていた手を開けば、チビ太がそっとのってくる。小さな体が彩りを目一杯に放つ白い革のソファは、いま、私にとってまた違う愛とホームを教えてくれる。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)