Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

祖父からの最後のお年玉で私が買ったソファ

数年前に一度だけ、祖父からのお年玉が2万円も入っていたことがある。それは、大人になってからも、結婚してからも毎年変わらず「5,000円」を手渡してくれた祖父からの、最後のお年玉となった。

しばらく使えずにいたそのお年玉を足して、4年前、私はソファを買った。幼い娘2人と3人並んで座ればきゅうとする2人掛けだ。図書館から借りた本を読むのが、最近のお気に入りの過ごし方。真ん中に私が座り、左右から娘たちが身を寄せてくる。

若草のような瑞々しさというよりは、味と深みを増す青年期のようなグラスグリーン色。人生に寄り添ってくれるソファが欲しいと、祖父が手渡してくれたポチ袋をみつめながら、そう思ったのだ。

祖父が教えてくれたことは数え切れず、言葉にはならないことばかり。

・・・

戦後、体操などを披露するサーカス巡業をしていたという祖父は、いわゆる華のある人だった。にこにこと人好きのする笑顔で、いつでも人に囲まれていた。その人望から町内会長をつとめ、早朝にみんなで空き缶を拾い続けて町会のための大金を貯めたこともある。祖父の手にかかれば些細なことも、なぜだか楽しく、良いものにみえる節があった。

私がモダンダンスをはじめればプロ顔負けの機器をかかえて撮影し独学で編集までしてしまう。日々を楽しむ、人と一緒に楽しむ、それには時間も労も惜しまない。そんな素質を備え、私に身をもって示してくれる人だった。

だから、祖父のくれるお年玉もなぜだか特別わくわくしたものだ。 末っ子だったこともあり、ある年に「みんなと同じ、お札のお年玉がほしい」とねだれば、それから決まって5,000円になった。おじいちゃんのお年玉は、5,000円。もらう前から知っているのに、開けるときは格別に胸が躍る。ポチ袋はいつも愛らしい色で、受け取ってからもほのかに温度を残していた。

高校3年生になる頃に、両親が離婚した。それでも祖父との関係は変わることなく、むしろ近づき寄り添ってくれた。母とも、父とも違う。なにかとささくれだつ思春期に、やさしさと頼もしさをそのまま差し出すような安心感をくれたのは、祖父だ。

年老いて体力がなくなってからも、自分を頼ってくれる人がいる団地を離れたくないと、最後まで自立した生活を選んだ。ある年、高熱を出した祖父を、社会人になり車を運転するようになった私が病院に連れていったとき。インフルエンザと診断され、大した看病もしていないのに「おまえには命を拾われた」と、何度も大袈裟に繰り返していたっけ。そのときはじめて、私が大人になったことを実感したのかもしれない。

祖父は最後まで団地に住み続けた。最後のお年玉は、暮れに体調を崩し床に伏せながらも手渡してくれたものだ。なにを思い、どんな気持ちで2万円を入れてくれたのだろうかと考えると、いまでも胸がきゅっとなる。私はこれからも最後のポチ袋に、何度もなんども、涙をおとすのだと思う。

時々うんと哀しくて、でも人生は温かいものがいつだってあるのだと思い出す涙だ。

人生の面白がりかた、楽しみかたを知っている祖父が、私にくれたもの。今度は私が、それを娘たちとの生活をとおして、いつか娘たちの子をとおして、言葉にせずとも自然に渡していけたら、と思うのだ。

このソファで過ごす時間で、ありったけ惜しみなく与えていけたら。
そんなふうに思う午後、グラスグリーン色のソファのうえで。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)