Sofa Stories Sofa Stories

ソファストーリーズ

ソファはいつも暮らしのまんなかにある。

一人もの思いに耽る時
親密な二人の空間
わっと花の咲く家族の賑わい

ぜんぶ抱きとめるソファは、あつく、寛大で、やさしい。

四季折々、日々折々
名前のつかない一つひとつの日常の
暮らしの些細を覚えている。

陽のにおいも、夜の静けさも、
すいもあまいも染み込んで、
ただ、いつもでもそこに。

それぞれのソファに織りなす物語。

大きなソファと、3人の幸福な“窮屈”

「とにかく、大きいやつがいいと思う」。言葉にしたのは私だったが、妻も同じことを考えていたのだと、顔をみればわかった。

いよいよ新居を建てる。20代でマイホームを構える、それだけでちょっとした高揚感があった。さまざまなモデルハウスに足を運んだが、その度になによりも目を奪われたのは、厳かに構える大きなソファたちだった。形や色も確かにそうだけれど、なんといってもその大きさだ。様になっている、と思った。

「大きなソファ」をリビングに置く。
なにごとも十分に調べてから決める慎重派の私と、思い立ったらすぐに動ける行動派の妻。それでも、この決定事項は同じだけの速度で、同じだけの熱量で、2人あ・うんの呼吸で決めたのだ。

正直にいうと「大きなソファは、豪華で、格好いい」という、ちょっとした虚栄心だってあった。なんたってマイホームを建てるのだ。どうせなら、親や友人を招いたときに、わあ、と感心して欲しい。

結婚してから長らくアパートで過ごした時間も、大きなソファへの憧れを少しずつ育てたと思う。2人が暮らせるだけの部屋には、そこまで大きなソファを置くことはできなかった。2人で一緒に使えばやっぱりきゅうとしていて、くつろぐときなんかは2人で重なり合うように横になった。それはそれで新婚時代の可愛らしい思い出だが、歳もわりあい重ねてきたせいか、でんとくつろげるソファに思いが募る。2ヶ月をかけて大きさもデザインもこれだと思うソファに出会えてからは、新居が完成することはもちろん、マイ“ビッグ”ソファが届く日が、待ち遠しかった。

・・・

迎えたソファがリビングに配置されると、残されたワンピースが“かちり”とはまった気がした。思った以上に様になっている。どこからみてもしゃんとしていて、我ながらため息が出てしまった。マイホームだ、という実感が明確に湧いてきたのはこの時かもしれない。

自分の両親も、こんな気持ちだったのかな、とふと思った。私が小学5年生の頃だったか、両親が実家を新築に建て替えたのだが、併せてソファを購入していた。我が家で初めてのソファだった。座ると少し沈み込む、ふかふかのソファ。あれもまた、2人にとってのマイホームの象徴だったのかもしれない。新しい生活のはじまり、家族が生活していくことへの喜びに満ちた節目、というか。

妻と2人でソファにいても、それぞれが手足を伸ばしていられることの快適さに驚く。自然と定位置も決まった。私はソファの左側に寝そべり、妻はもう一方にごろんと寝転がる。クッションを2枚ほど重ねて肘を置いたり、枕にしたり。

最近は2歳半になった娘が段差を乗り越える練習台にもなっている。「見ててね」と言ってはそのへんを走りまわったり、踊ったりしている。夢中になりながらも、私と妻が見ているかどうかを時々ちゃんと確認していて、そんなところにも1つずつ成長を数えてしまう。
私たちがソファで横になっていると、自分でのぼってきて私か妻にくっついてくるようになった。
新婚時代とはまた違った心地よい窮屈さを、大きなソファのうえでのびのびと抱きしめている。

Illustration by fujirooll
Text by SAKO HIRANO (HEAPS)